夜の些細な攻防戦

「うおっ!…ってめ、何すんだ!」
「うふふふふふふふ」
「気持ち悪ぃ声出すな!殺す!絶対ぇ殺す!そのままベッドから落ちて気絶して風邪引け!」

布団の中で逃げる大きな足を、しつこく追いかけてぎゅっと自分の足を押し付ける。
シズちゃんのベッドはシングルだから、逃げると言ってもそれほど逃げ場はない。
ふざけてるって分かっているから、お互いあえて手は使わない。
いっそ先に手を出した方が負けのような気がして、変なところで意地を張り合っていたりする。
でもしばらくして、とうとうシズちゃんが怒りの鉄槌を俺の頭に降した。

「いったーーい!シズちゃんひどぉーい!俺の頭は君の石頭とは違うんだよ?分かってる!?叩いたら普通に割れます!」
「うっせえ!冷てぇんだよお前の足は!」

狭いベッドの中でなけなしの距離を取ったシズちゃんは、俺に背中を向けて丸まった。
俺の可哀想なくらい冷たい足先に、無視を決め込むつもりだ。
なんと白状な男なんだろう。男ならせめて「俺が暖めてやるよ」くらい言って見せるものじゃないのか。
と、そこまで考えてあり得ない寒気に襲われたので、俺はそれ以上先をシズちゃんで想像するのはやめた。

「シーズーちゃん。こっち向いてよ、寂しいじゃん。俺、さすがに背中に話しかける趣味ないし。せっかく一緒に寝るんだからせめて腕を絡めるとか抱き合うとか…、……なんか言ってて馬鹿らしくなってきたんだけど」
「……そうやってまた俺の足で暖を取るつもりだろうが。俺は騙されない」

ごそごそと顔まで布団に埋もれたシズちゃんは、まだしっとりと濡れた金髪と白い耳しか見えない。
後は大きな背中と愛想のない布団ばっかりで、これじゃあ一緒に寝ている意味がない。
確かに俺は冬だと言うのに規格外に温かいシズちゃんの足から、温もりを頂戴する気満々だ。
それは認めるし譲らないけれど、それにしたってこれは酷い。全く温まれないじゃないか!
断じて、断じてシズちゃんの寝顔が見えないから寂しいとか、そういうのでは、全然ない。

「んーー!」

一向にこちらを向かないシズちゃんに、せめて段々冷えて来た鼻先と指くらい暖めてもらおう。
そう思って、硬い背中に鼻をぐりぐりと押し付けて、脇の間とベッドと体の隙間から腕を突っ込む。
お願いします入れて下さい、風呂上がりなのにもう寒いんです。真剣です。

「何やってんだよ」
「だって寒いんだもん」

背中に顔を押し付けたまま喋ったせいで、声がシズちゃんの体を振動させて少しくぐもった。
脇の間を通り抜けた指先が、シズちゃんの手に進行を遮られる。

「んだよ、指までこんなに冷てぇのか。ちゃんと湯船につかってねぇだろ」
「つかってるよ。でも時間が経ったらこうなるの。冷え性ってそんなもんだよ。シズちゃんは異様なほど血行と新陳代謝いいみたいだから無縁なのかもしれないけどさ」
「ふーん」

すっかり冷えた俺の手を、興味本位からかシズちゃんはぎゅっと握って、擦って、また握った。
じんわりと温かさが指先から広がって、至福の瞬間がやっと訪れる。
やっぱりシズちゃんはあったかい。
これだけ温かいのだから、少しくらいこの氷の様な足先だって温めてくれたっていいのに。

俺の指を握ったままうとうとし始めたシズちゃんの背中で、そっと息を潜めた。
これはチャンス以外の何物でもない。
だって敵は今、これ以上もないくらいに無防備に獲物を晒している。
そっと布団の中で脚をずらして、シズちゃんの足先を目指して勢いよく足を割り込ませた。

「……っだあああああ!つめってぇ!」
「あったかーい!シズちゃん最高!君にも役に立つことがあるんだね!ゆたんぽ?アハハ!ゆたんぽ…っくく!シズちゃんがゆたんぽとかほんっと最高!」

あんまり思い通りの反応に、すっかり気を良くして俺はシズちゃんの足をがっちりホールドしたまましばらくぺらぺらと口を滑らせまくった。
もちろんシズちゃんが怒って反撃してくることなんてお見通しだし、そうなればちょっとは体があったまっていい感じの睡眠を得られるんじゃないだろうか、なんてお気楽に考えていたのだ。

案の定、どこからかブチッと何かが切れる音がして、シズちゃんの動きがぴたりと止まる。

(あれ?この反応は…)

殴りかかってくるかベッドから追い出されるかはてさて、と先読みしていた俺は、静かになったシズちゃんに予想を裏切られた。
しばし隙ができてしまった俺の首根っこを、シズちゃんはあっという間にまるで猫のように掴み上げた。

「いーざーやーくーん。ちょっとこっち来い」
「ちょ、ちょっと!寒い!俺の毛布!!…痛っ、痛い痛いってば!あちこちぶつかってるよ!?どこ連れてくの!」
「うぜぇ、ちょっとマジで黙れよお前」

居間まで問答無用で連れて来られた俺は、パーカーのフードがちぎられないことだけを祈った。
そうこうしている内にシズちゃんは床に無造作に散らばっていた洗濯物を漁り始め、その中から白い靴下を器用に選び抜いた。
俺への報復が靴下選びってどういうことだろう。
引きずりまわすのが仕返しなんて、それはあまりに甘すぎるし、もう何が何やらさっぱりだ。
そしてそのまま再びベッドへと連れて来られた俺は、ベッドの淵に強制的に座らされた。

「何?どういうつもり?何がしたいわけ?」

座った俺の前にしゃがみ込んだシズちゃんは、あろうことか俺の足首を掴んだ。
そうして、居間から一緒に帰って来た靴下を、俺の足に履かせたのだ。

「は?え、何これ。本気で意味わかんないんだけど」
「防御だよ、防御。これで俺は冷たくねぇ。よし」
「よしじゃないよ!なんで俺が君のくたびれた靴下を履いて寝なきゃだめなの!?ていうかハーフパンツに靴下で寝るって俺どうなの!?やだよ靴下なんか!!ねえちょっと!」

しっかりと両方の足に靴下を履かせたシズちゃんは、満足したのか喚く俺を担いで布団の中に戻す。
もふもふの毛布(これは俺がお泊り用にわざわざ持ってきたお気に入りの毛布だ)の包み込むような最高の感触も、シズちゃんのゆたんぽも、これじゃあ全く感じられない。
このふわふわもふもふを感じるためにわざわざハーフパンツを寝巻に着用しているというのに、肝心の足先が空気を読まない靴下に閉じ込められていたんじゃ意味がない。
なんたる仕打ち!俺の寝る時の楽しみが二つも奪われるなんて!

「靴下履いてりゃ、ちょっとはあったけぇだろ。それ脱いだらマジで殺すからな」

いいことした、と得意げに笑ったシズちゃんは、諭すように俺の頭を撫でて気持ちよさそうに布団にくるまった。
すっかり眠る気になったのか、自然と俺の体を引き寄せてベストポジションに収まった。
目を伏せたシズちゃんは気が抜けるほど幼い表情で、俺の寝る時のもう一つの楽しみはいつの間にかクリアされていた。

(心配してんのか、ただ単に“防御”なのか、はっきりしろよ天然タラシめ)

こんなはずじゃなかったのにと、今度はシズちゃんの胸に鼻先を押し付けて、俺も目を閉じた。
はて、靴下さえ履いていればシズちゃんの足には触り放題なのだろうか―――。

眠気に襲われた俺の思考回路は、そこで夜を迎えた。

例の抱き枕について考えてみたらこうなった。

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