このまま歩いて行くのは難しいだろうと、静雄は呆れたように息を吐いた。
なんとか真っ直ぐ立った臨也を強引に引っ張り、静雄は明るい通りでタクシーを拾った。
もちろん代金は臨也のポケットから拝借するつもりだ。

「肩貸して」

タクシーに乗り込んで早々、臨也は吸い込まれるように眠った。
人の目がある場所で無防備に眠ることなど、臨也はこれまで一度もしなかったはずだ。
僅かな違和感が静雄を悩ませたが、それほど眠気が強かったのだろうと、静雄は思考を中断した。
けれど、あまりに静かに呼吸を繰り返す臨也の寝顔を見ていると、訳の分からない靄が静雄の腹の底に漂い始めた。
肩に乗せられた臨也の小さな頭と、重さを感じさせない薄い体を無性に怖いと感じる。
なぜそんなことを考えたのか、この時の静雄には知る由もなかった。

やがて見慣れた背の高いマンションの前で、タクシーが止まる。
微かな寝息を立てる臨也を揺すり起こし、二人でタクシーを降りた。
終始無言のまま重たい瞼と格闘している臨也の傍らで、静雄は同じように黙り込んでいた。
いつも通りであればこの後は遅い晩御飯を食べて、終電が迫る頃まで一緒に過ごすか、夜を跨いで翌朝別れる。
けれどこの様子では、食べ物さえまともに喉を通らないだろう。

「今日はこれで帰るぞ」
「…え?」

厳重なロックを解除してオフィス兼リビングまで進んだところで、静雄は臨也のゆれる背中に言った。
振り向いた臨也は、先ほどまで薄らとしか開いていなかった瞳を真ん丸とさせて、本気で驚いているようだった。

「お前、今すぐ寝ろ」
「へ…、平気、だって。寝不足なのはいつものことだし」
「今日のはいつもよりひでぇだろうが」

精一杯いつも通り振る舞おうとする臨也に、静雄は眉を歪めた。
見え透いた嘘だ。隠せているとでも思っているのだろうか。

「眠れる時に寝ろ。情報屋だからそれはできねぇって言うなら、やめちまえそんなクソみてぇな仕事」

吐き捨てるように言うと、臨也はそれまでぼんやりとさせていた目を吊り上げて、静雄を睨んだ。

「情報屋は俺のアイデンティティだ。シズちゃんにそこまでどうこう言う資格なんてないだろ。俺が平気って言ってるんだから、それでいいじゃないか。君には関係ないことだろ」
「………そうかよ。勝手にしろ」

静雄がどれほど譲歩して、どれほど臨也の体調を気遣っているかなんて、こいつには伝わらない。
伝え方が下手だということは百も承知しているけれど、臨也だって受取ろうとしないのだからどうしようもない。
だからいつも、静雄は諦めてしまう。
これ以上こいつの中に踏み込むことは無理だと、背を向けてしまうのだ。

「帰る」

一言そう言い残して、だだっ広い部屋に立ち尽くす臨也を置いて部屋を出た。
言い合いなんて日常茶飯事だし、今までもっと醜い言葉をぶつけ合ったことも多々ある。
どうせ次に会うときにはお互い何事もなかったようにけろりとして、同じ道を歩くのだ。
燻る想いを眠らせたまま、上辺をそっと撫ぜるように。



***



臨也は一人、電気の消えた玄関に立っていた。
静かに閉じた扉は、遠ざかる足音さえこちら側に伝えてこない。
それでも臨也は、じっと開かない扉を見つめていた。

「……ばか」

やがて忘れていた眠気にぐらりと視界が揺れて、壁に背中を預けて座り込んだ。
眠くて眠くて、たまらなく眠たいのに、眠っても眠っても眠った気がしない。
それなのにほんの数分、たった数分静雄の肩に凭れて眠った時は、眠れたという実感があった。

静雄を家に呼んだのは、手っ取り早く眠ろうと思っていたからだ。
セックスをすれば疲れ果ててすんなり眠ってしまえる。
静雄が隣に寝ていれば、朝までぐっすりと惰眠を貪れる。
認めたくはないけれど、静雄の寝息はどうしてか臨也を心地よい睡眠に導く。
子供のように高い体温も、無駄に長い腕も、どんな睡眠導入剤より効果があった。

(だから一緒に寝てなんて、とても言えない)

深く息を吐いて、臨也はとうとう冷たいフローリングに頭を預けた。
もう体が言うことを聞かない。瞼が勝手に閉じてしまう。

コートに包まるように体を縮めて、臨也は強い眠気に身を任せた。


to be continued...

なぐ様(pixiv)とのリレー小説。
第1話担当:なあお

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