つごもりのさようなら

『やあ、シズちゃん。おっと、俺からの手紙だと分かった瞬間破り捨てようとしたでしょ。君ってほんと単純だよね。見なくたってシズちゃんの行動パターンくらい簡単に読めるよ。まあ、せっかくだしちょっと読んでみてよ、生まれて初めてシズちゃんに書いた手紙なんだからさ』

そんな言葉で始まった無記名の手紙が、梅雨明けのある朝ポストに届いた。
送り主は考えなくたって分かる。
折原臨也ただ一人だ。
初めの一言で手紙を持つ指先に力を入れたが、臨也の予言通りに破ってやるのも癪だったから、破り捨てるのをやめた。

続きを読んだのは本当に気まぐれだった。
たまたまその日は長雨が上がった清々しい朝だったというのもあるし、わざわざ手紙という古典的な方法を取った奴の行動に、単純に興味を持ったというのも理由の一つだったと思う。
奴らしい神経質そうに整った細い字が、整然と並ぶ何の変哲もない文面を、俺は朝食のトーストを齧る片手に流し読んだ。

『ねえ、シズちゃん覚えてる?俺達が新羅に引き合わされたあの日のこと。俺はあの日、つまらないと思っていた高校生活が一気に輝いて、楽しみでたまらなくなったんだよ。全部シズちゃんのおかげさ』

臨也の言葉で語られる高校時代が、その手紙には延々と連なっていた。
いつの間にか俺が忘れていた小さな出来事まで、まるで過去を言葉で遡るように丁寧に綴られる。
さんざん臨也に陥れられて暴力を揮った日々が、俺の脳裡にも鮮明に蘇った。
思い出すだけでこんなに腹立たしいのに、臨也の文面には過去を懐かしみ、いとおしむ影さえ見えて、結局俺は手紙を最後まで読んだ。

『大勢を相手にひとりで喧嘩して、周りに誰も立っていなくなった後の気分って、一体どんなだっただろうね。俺はそれを想像するたびに変にぞくぞくしてた。ひとりなのは自分だけじゃないって、俺よりひとりな奴がいるって、多分安堵していたんだよ。ごめんね』

そこで唐突に文章は終わっていた。
正直訳が分からなかった。
あの折原臨也が俺に対して「ごめん」などど、しおらしい態度を見せたことなど今まで一度もなかったからだ。
新手の嫌がらせか、そうでなければただの暇つぶしか。
なんにせよ、次に会った時に俺の反応を見てからかう気だろうと、俺はそんな風にその手紙を散らかった机の上に乱雑に放り投げた。

ただ、あの時臨也が何をどう考え、俺に喧嘩させていたかなんて知らなかった。
人間離れした力を多くの生徒の前で明るみにし、畏怖され、誰にも理解されず受け入れられず、だんだんと孤立していく俺を見て嘲笑っているものだとばかり思っていた。
小さな違和感がひとつ、俺の記憶の片隅にそっと影を落とした。


そうしてそれ以来、臨也からの手紙が不定期に届き続けた。
一通目の出会いから、手紙は少しずつ時間を重ねて行く。
一年生が終わり、二年生になって、ますます互いの関係が殺伐として本気で殺し合い、揃って新羅の世話になった日も幾度かあった。
その時俺が何と言って怒り、どんな風に喧嘩をして、どうやって生きていたのかが事細かに書かれていた。

臨也が一体何を目的としてこんな手紙を送りつけてくるのかは、全く分からなかった。
差出人のないその手紙に、けれど確かに存在している臨也の影がなぜか上手く重ならない。
いつだって何を考えているのか理解に苦しむ奴だったけれど、今回は本気で想像がつかなかった。
それでも俺は、一通目の手紙で感じた小さな違和感を捨て切れず、ずっと手紙を読み続けた。

『学校を卒業する頃にはすっかり全校生徒に恐れられてたよね、シズちゃん。まあ、俺がそう仕向けたんだから当たり前だけど。でも、君は、本当は暴力が嫌いと言うだけあって、優しいんだってことも俺は知ってた。その証拠に君のことを正しく理解した奴らは、俺なんかよりよっぽどシズちゃんの方が人間らしいって笑ってたんだよ。君も彼らと一緒にいる時は笑ってた。俺は、そんな風にぬるま湯に浸ってるシズちゃんが嫌いだった』

それは一体何通目だったのか、季節はいつの間にか夏を通りすぎ、秋を迎えていた。
手紙の内容は丁度高校を卒業する時期になり、俺にとってはようやく臨也との関わりを断つことができると安堵さえしていた頃だった。
けれどその次に俺の元に届いた手紙は、臨也が新宿に移り住んでからの出来事になっていた。

それまで季節を順に追って書かれていた内容が突然時間を飛び越えたのだ。
さすがに奇妙に思って何通か見落としたのではないかと部屋を漁ったが、臨也からの手紙は確かにそれが最新のものだった。
いつも同じ封筒に入れられて届くため、すっかり見慣れてしまったから間違いない。
非常に悔しいことに、心のどこかで臨也からの手紙を待っている自分がいることに薄々気付いていたけれど、だからこそ見落としているとは考え難かった。

『俺は人間を愛している。人間なら誰だって愛せるって自信もある。でも君は人間じゃなかった。君は化け物だったんだ。俺にとって、生まれて初めて見つけたイレギュラーだよ。だから興味を持ったし、手駒にしたいとも思ったし、もっと君のそのイレギュラーな力を見てみたいとも思った』

そうしてとうとう、臨也からの手紙は現実に追いつき、過去が止まった。
ただひたすらに、臨也が心の内に貯め込んでいた俺に対する言葉が書き殴られている。
どれもこれも、あんなに良く回っていたはずの口からは、聞いたことのないものばかりだった。

俺は訳も分からず、先を急ぐように臨也の書いた文面に目を走らせた。
なぜか落ち着かない。あの日生まれた違和感が、むくむくとその体積を広げて押し迫る。

『だけど俺は、どこかで間違ったんだ。人生で最も許しがたい過ちだよ。俺の完璧だった人生に傷がついたんだからね。その傷を、俺はなかったことにしたかった。だから俺は、シズちゃんがいっそ人間になってしまえばいいと思ってた。君がたくさん喧嘩をして、その力をいっぱい揮えば、いつかコントロールできるようになって、君は人間になれるんじゃないかって』

俺は片手に持っていたマグカップを、静かにテーブルに置いた。
相変わらず堅苦しそうにきっちりと並んだ細い字に、食い入るように目を向ける。

『そして、やっぱりシズちゃんは人間になった。本当は俺の手で君を人間にしたかったんだけど、それはどうやら叶わなかったみたいだね。これでめでたく、シズちゃんは人間だよ!俺が言うんだから間違いない。もう俺が君を陥れる必要もないし、俺がシズちゃんと追いかけっこをすることもない。これって、君が一番望んでいた結果だろう?おめでとう、シズちゃん』

ぐしゃり、と音を立てて、白い便箋が手の中で歪んだ。

『もう、これで俺の役目は終わりだね。大っ嫌いな俺からの手紙、最後まで読んでくれてありがとう。ばいばい、シズちゃん』

はっとして、俺は手紙から視線を上げた。
カーテンの向こう側は窓ガラスが曇り、月が見えないはずの空は、ぼやけて街の明かりがゆらゆらと揺れている。
手紙を手にしたまま窓に寄り、そっとガラスを指先で擦れば、空からは雪が舞っていた。

愕然として、壁を背に座り込んだ。
いつの間にか冷え切った手が、無意識に手紙を握り締める。
沁み入るような冷たい床が、俺に現実を突きつけていた。

「―――臨也」

声に出して初めて、久しく自分がこの名前を口にさえしていないことに気付く。
最後に音にしたのがいつだったかが思い出せない。


それは、折原臨也がぱたりと消息を絶って以来、半年が過ぎた冬のことだった。

私の脳内がまとまったら、いつかシズちゃんが臨也を迎えに行くかもしれない。
追記(6/14):…続いた!

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