「おい、なんでそんなにぶすっとしてんだよ」

約束したわけではないが、毎週金曜日は仕事帰りに食材を買い込んで臨也の家で二人晩飯を食う。
いつも通り俺は今晩のメニューを頭の中で浮かべながら、スーパーの袋を下げて臨也の家の扉を開けた。
いつもなら冷静を装った、けれど本当は俺の訪問を今か今かと待っていた臨也の落ち着かない表情が出迎える。

しかし、今日は不貞腐れた表情でソファーに座ったまま視線さえ寄越さない。
隠す気がないのか、それとも無意識なのかは知らないが、面倒なので手っ取り早く機嫌を取ってしまいたい。

「聞いてんのか」

明後日の方向を見たままの臨也の頭を、ソファーの背もたれ越しに上へ向けると、艶やかな前髪が左右に散って、赤い瞳が恨みがましく俺を見た。

「聞こえてるよ、煩いなぁ」
「だったら返事くれぇしろよ」

煩わしげに俺の手を払いのけた臨也は、むくれたまま再び視線を逸らす。

「何に怒ってんだよ」
「別に俺怒ってないし」
「怒ってんだろ」
「怒ってないってば」

頑固なことは良く知っていたが、まさかここまでとは思わなかった。
辛うじて怒りを堪えていられるのは、この三か月間で俺が大層な努力を積んだ賜物だ。
少しくらいは臨也が相手でも理性的に物事を考える余裕ができた。

恐らく、臨也が怒っている理由は俺にあるのだろう。
でなければ、臨也が意味もなく無駄な行動を取ることはない。
俺を騙そうとしているのなら、話は別だが。

「……めんどくせぇ」

呆れて溜息を吐くと、びくりと怯えたように肩を震わせた臨也の横顔は、悲しそうに見えなくもない。
俺が何かをしたと言うのなら、そうはっきり言えばいいのだ。
ナイフを手に真っ向から俺に立ち向かってきた時のように、やたらと動く口で俺を非難すればいい。
変に口を閉ざされた方が相手をし辛い。

「もういい。飯作る。食うんだろ」
「…………うん」

結局飯を作る間も、食べている間も、臨也が機嫌を損ねている理由を話すことはなかった。



* * *



ガシャン、と固いものと固いものがぶつかり合う音がして、臨也の手から消えた携帯は無残な姿でフローリングに転がった。
一瞬何が起こったのか分からなかったのか、臨也の動きが止まる。
俺は俺で、足元に横たわる拉げた元携帯電話を見下ろして、急にすっと胃の中が冷えていく感覚に襲われた。
ひたりひたりと、素足の臨也が静かな足音を立てながら、数歩先で潰れている携帯の元に歩み寄り、原型を留めていない携帯電話を見つめている。

別に後悔なんてしていなかった。
理由を聞いても何も言わなかったのは臨也の意思だし、俺は俺にできる限りのことはした。
それなのに、一向に歩み寄ろうとしない頑なな態度の臨也が悪いのだ。
頭の中で渦巻く言い訳染みた言葉に、喉はカラカラと乾いていく。

本当は分かっていた。
俺がこんなにも臨也のことで頭を悩ませて、慣れないくせに気を遣ったりしているのに、自ら壁を張り巡らせて一人悲観に走るように閉じ籠り、別の人間に愛好を崩している臨也が許せなかったのだ。
みっともない独占欲に気付かされて、掛ける言葉なんて見つかるはずもなく、俺はただそこに立っていることしかできない。

「……帰って」

明かりが消えたままの部屋の真ん中で、臨也が俯いたまま言った。

「もう帰って!」
「いざ、」
「そうやって、俺のこと振り回して楽しい?俺がどんな気持ちでいつもシズちゃんのことを待ってるかなんて、考えたこともないだろう」

温度の無い声と向けられたままの背中に、俺はようやく臨也の中の押してはいけないスイッチを押してしまったことに気付いた。

「君のことが好きな俺に、餌付けしていい気分だった?」
 
振り向いた臨也の目は、俺と、そして臨也自身に何かを言い聞かせるように、あまりに真っ直ぐだった。

「気まぐれに俺のこと構ってみたり、こうやって無暗に暴力揮ってみたりさ…。俺、もう疲れたんだよ」

やっぱり、俺とシズちゃんが一緒になんて、無理だったんだよね。

独り言のように零されたその言葉に、俺は返す言葉も、引き留める手も失って、ただ静かに部屋を出ていく臨也の薄い肩を見ていることしかできなかった。

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