シズちゃんに出会ったのは、高校の入学式の日だ。
中学からの腐れ縁である新羅と連れ立って、教室から体育館へと移動していた時だった。
やたらと目立つ金髪長身の男と、体格の良いオールバックの二人組が進行方向から歩いて来た。
隣を歩いていた新羅が明るい調子で声を掛けて、初めて臨也は視線を正面へと向けた。
「やあ、静雄君。久しぶりだね。君も来神高校に入学していたなんて知らなかったよ!」
静雄、と呼ばれた男は切れ長の目を僅かに見開いて、新羅の名前を呼んだ。
茶色の鋭い瞳と、高く通った鼻筋。
男らしい薄い唇から紡がれる音は、耳に心地よいテノールだ。
ふわふわとした金髪と、整った顔立ちに、細身だがブレザーの上からでも分かるほどよく引き締まった身体はとてもバランスが良かった。
正直に言おう。
俺はこの時、すでに恋に落ちていた。所謂初恋というやつだ。
人間という生物は、本当に一目惚れをするらしい。
どうやら隣のクラスである彼と、新羅は軽く挨拶を交わした後あっけなく別れた。
もちろん、この後新羅に食って掛かって彼を紹介しろと言った。俺に抜け目はない。
かくして、俺はめでたく平和島静雄ことシズちゃんとお知り合いになったわけだが、恋らしい恋などして来なかった俺には、シズちゃんは少々ハードルが高すぎたのか、未だにまともな会話が成立しないのだ。
シズちゃんはあまりお喋りが得意ではないらしく、俺がぺらぺらと喋りすぎると会話にならず、かといって俺が喋らないとこれまた会話にならない。
流れでなんとなく一緒にいることが多くなったオールバックの男、門田京平との方が仲良くなってしまう始末だ。
ドタチンは面倒見が良くて、それほど喋るわけではないが、会話のテンポを他人に合わせるのが上手い。
相手の機敏を察するのも上手だから、一緒にいるととても心地良いのだ。
「ドタチン、お願い!次の古典の授業の間、ドタチンのノート貸して!」
長閑なお昼休み。俺たちは大抵四人で屋上にやってきて、昼食を取る。
せっかくシズちゃんとお昼を食べられる貴重な時間だが、何を話せば良いか分からず、結局シズちゃんは新羅の惚気話を延々と聞かされるポジションに着くのがお決まりだ。
そうなると俺はドタチンと話すことが多くなり、自然と俺がシズちゃんに絶賛片思い中であることがバレて、今に至る。
「そういうことこそ、静雄に頼めばいいだろう。静雄だってノート真面目に取ってるぞ」
「だ…!だって、もしシズちゃんのノート汚しちゃったり、破いちゃったりしたら俺、確実に死ぬもん!」
声を潜めて俺に耳打ちしてきたドタチンに、俺も同じように声を小さくして返す。
確かに、シズちゃんとドタチンは同じクラスなのだから、シズちゃんにノートを借りたって何ら問題はない。
けれどそれが簡単にはできなくなるのが恋だと、俺は声を大にして言いたい。
我ながら乙女思考過ぎて気持ち悪いと自覚しているので、突っ込みはなしでお願いします。
「お前なぁ…、そんなことばっか言っててもどうしようもねぇだろ」
「分かってるけど…」
緊張してしまうものはしてしまうのだから、どうしようもないじゃないか。
そう本音を言うのも憚られて視線を泳がせると、向かいでクリームパンを頬張るシズちゃんと目が合った。
(なんで?なんでこっち見てるの!)
新羅に相槌を打つのに忙しいはずのシズちゃんが、こっちを見ている。
何の心構えもなく視線がぶつかってしまって、俺は思わず勢い良く目を逸らした。
ああ、絶対まずかった。どんなに鈍感なシズちゃんだって、あからさまに視線を逸らされたら違和感を覚えない訳がない。
見るからに落ち込んでいる俺に、色々と察したらしいドタチンが、シズちゃんに会った時にいつでも素敵な俺でいるためにばっちりセットした髪をぐしゃぐしゃと撫でた。
「ちょっと、ドタチンやめてってば!乱れる!」
「そんなこと言っていいのか?ノート貸してやらねぇぞ」
「え!ノート貸してくれるの?ドタチンマジイケメン。ありがとう!」
ころりと態度を変えた俺は、わざとらしくドタチンを褒め称えながらドタチンに抱きついた。
ドタチンとならこんな風にじゃれ付いたり、ふざけ合ったりすることもできるのに、どうしてシズちゃんとは上手く行かないんだろう。
五限目を知らせる予鈴が鳴る頃、ちらりとシズちゃんを見たけれど、シズちゃんはもう俺のことを見てはいなかった。
そんな風に、特になんの進展もなく日常が過ぎて行く日々の中で、ほんの少し俺とシズちゃんの関係に変化が訪れた。
ドタチンの粋な計らいで、俺はシズちゃんと二人きりで帰る機会に恵まれたのだ。
「教科書、貸してくれて助かった」
「あ、う、うん!このくらい全然いいよ!」
六限目の後、ホームルームも終わり生徒が帰路に着く頃、まだまばらに生徒の残る教室にシズちゃんが顔を出した。
慌てて駆け寄って教科書を受け取り、ロッカーに入れる。
マフラーを巻いて鞄を担いだ格好のシズちゃんは、どう考えても今から帰るところだ。
「こいつに教科書貸してやってくれ」とシズちゃんを連れてきたドタチンには今後足を向けて眠れやしないが、貸したことで頭がいっぱいになって返してもらう時のことを何も考えていなかった。
俺がロッカーに教科書を入れる一部始終をじっと見守っているシズちゃんは、ずっと無言だ。
視線を痛いほどに感じて、ぎこちない動作になってしまう。
これは、覚悟を決めるしかないのだろうか。
どくどくと煩い心臓を少しでも宥めようと、ゆっくりと息を吸って、それから吐いて、俺は背後に立つシズちゃんに向き直った。
「シズちゃん、もう帰るの?だったら途中まで一緒に帰ろうよ」
俺は緊張していない緊張していない!
繰り返し自分自身に暗示をかけて、自然体を装って笑って見せる。
「おう」
すると、シズちゃんは極めて短い返事を寄越して、なんと、ほんのりと笑ったのだ。
(うわー!うわーーっ!)
普段は無表情で滅多に笑わないシズちゃんが、俺にこんな風に笑ってくれるなんて思いもしなかった。
むしろ、数日前に視線を逸らしたせいで嫌われたかもしれないとまで思っていたのだ。
これで頬が赤らまない人間なんていない。
こうして俺はシズちゃんと初めて二人きりで歩くことになった。
ぽつりぽつりと言葉を交わしながら、日が落ち始めてオレンジに染まる道をゆっくりと歩く。
「教科書のお礼、何がいい?」
「えっ!お、お礼?」
「何かねぇのか?食いたいもんとか」
もうすぐシズちゃんと別れる交差点が見えるというところで唐突に話題を振られて、俺は素っ頓狂な声を上げた。
今時教科書の貸し借り一つでお礼を律儀にする男子高校生なんて、シズちゃんくらいしかいないんじゃないだろうか。
俺はどぎまぎしながら、鞄の紐を握って足元でゆらゆらと動く二つの影に視線を落とした。
「別に、お礼なんていいよ。俺、シズちゃんと一緒に帰れただけでも十分楽しかったし」
「……別に、俺なんかといたって、大して楽しくもねぇだろ」
「え?な、なんで…?そんなことないよ」
突然不機嫌な様子でこちらを見なくなったシズちゃんに、何が気に障ったのか、とにかく言葉を否定する。
シズちゃんの好意を俺が無碍にしたから、というわけではなさそうだ。
そんな些細なことでこうも極端に機嫌が悪くなるほど、シズちゃんの性格は複雑ではない。
どちらかというと、分かりやすいと言われるタイプだ。
「けど、お前いっつも門田とは煩ぇくらい喋るくせに、俺とはちっとも喋んねぇだろ」
(え?えええ?えええええ?)
不貞腐れたような様子で鞄を肩に担いたシズちゃんに、俺はとうとう口をぽかんと開けて絶句した。
これは一体全体どういう風の吹き回しだろうか。
シズちゃんの言葉を曲解せずそのまま受け止めると、どう転んでも俺にとって都合の良い解釈にしかならない。
何と言葉を返せば正しい反応になるのかも分からず、かといってこのまま黙っていては余計にシズちゃんに勘違いされてしまいそうで、俺は慌てて口を開く。
「そ、それはシズちゃんと喋ると俺、どうしても緊張してぺらぺら一人で喋っちゃうから、そんなのシズちゃんはちっとも面白くないだろうと思って、だから…!」
言った傍から、また口が勝手に動いてしまう。
ああどうしよう、どうしてこう、会話一つさえままならないのだろう。
シズちゃんの反応を見るのが憂鬱で、俺は俯いてその場にじっと立ち止まる。
先を歩いていたシズちゃんが同じように立ち止まり、こちらを振り返ったのが気配で分かった。
「……っふは!まあ、てめぇは確かに喋り出すと止まらねぇからな。あと、たまに何言ってっか分かんねぇし」
小さく噴き出して、楽しげに笑いを噛み殺すシズちゃんに、俺は今度こそ言葉を失って、シズちゃんの顔を見上げた。
「俺は頭あんま良くねぇから難しいことは分かんねぇ。だから、今度からはもうちょっと分かり易く話せよ」
ぽすん、と大きな手のひらが俺の頭の上に乗せられて、緩く弧を描く形の良い唇と、柔らかく細められた瞳が一層近づく。
俺は今、耳まで真っ赤になっているに違いない。
無自覚な人間ほど罪な生き物はいない。
シズちゃんはきっと、自分の行動や何気ない言葉が俺の心臓を握っているだなんて、ちっとも分かっていない。
「じゃあ、シズちゃんも何か話してよ」
「その内な」
そう言って歩き出した大きな背中を、俺は逸る気持ちを心地よく感じながら、軽い足取りで追い掛けた。
たまには初々しいのも可愛いですよね。
2012.09.17の池クロ5の無料配布でした。