#03 Name
男は、黙ってサンジの後をついてくる。
鎖で繋いで引っ張っている訳でもないのに、じっと沈黙を保ったままただ歩く。
あんな風に横暴なやり方で買われたりしたら、普通怒ったりするものではないのか。
それ以前に奴隷になんてなりたくないと、反発するのが普通ではないのか。
サンジの頭の中は、とにかく混乱を極めていた。
(どうして俺はこんなことしてんだ?)
奴隷という言葉さえ疎ましいと思うほど嫌っていたはずなのに、衝動でこの男を買ってしまった。
この男が他の人間に買われてしまうことが、許せないと思ったのだ。
たとえ鎖で繋がれていようとも決して心までは囚われず屈しない強い瞳が、知らない誰かに歪められてしまうかもしれないと思うと、居ても立っていられなくなった。それが正直な気持ちだ。
大金で他のバイヤー達を抑え込んで奪い取るように手に入れた、顔も知らない男。
ただ誰かに取られてしまうのが嫌だったなんて、まるでお気に入りのおもちゃを囲い込む子供だ。
囲い込んだ後のことなんて何も考えていなくて、どうすればいいのか、どうしたいのかさえ分からない。
欲しいものを探していたときよりももっとサンジは途方に暮れて、迷子のような心境だった。
「まさかお前ェが奴隷を買っちまうなんて…」
隣でウソップがもう何度目かの大きな溜息を吐いた。
城にこの男を連れ帰ったら、きっとジジィには根掘り葉掘り聞き出されてしまうだろう。
何考えてんだ馬鹿野郎!と詰られて、これだからチビナスは、と呆れられるに違いない。
もしかするとウソップも一緒に怒られてしまうかもしれない。
それでもサンジはこの不思議な引力を持った男を、手放してしまいたくはなかった。
もちろん奴隷として扱うつもりなんてないけれど、とにかくそばに置いておきたかった。
「仕方ねェだろ、買っちまったもんは」
頭の上で暢気に腕を組んで、間近に迫った城を見上げながらサンジは呟いた。
そう、仕方がない。買ってしまったのだからもうどうしようもないのだ。
いくら理由を考えたって、この状況は何も変わりはしないのだから。
だったらいっそウジウジ悩まずに、気楽に構えていた方が幾らかマシというものだ。
そんな風に開き直ったサンジに少々情けない表情で別れを告げたウソップは、堂々と城の正門を通って自分の部屋へと帰っていた。
サンジはもちろん行きも通った秘密の穴を抜けて、城内に帰る。
「……ここ通りてェんだけど、通れるか?」
少し距離を開けた場所で立っていた男に、抜け穴を指差しながら問い掛けた。
男は見るからにサンジより体型がよくて、もしかするとこの小さな穴を抜けるのは難しいかもしれない。
けれど男はダンマリを決め込んだまま小さく頷いて、サンジを真っ直ぐ見るだけだ。
通れると言うなら通れるんだろうと、サンジは先にするりと身体を滑らせて城の庭に戻った。
「おーい」
ぱんぱん、と服についた土埃を払いながら男に呼びかけてみるが、穴から出てくる気配はない。
やっぱり詰まったのだろうかと思って穴を覗いてみると、サンジの背後で重い音がして地面が揺れた。
「おいおい、まさかこの壁飛び越えたのか?」
「………」
すでに素知らぬ顔で突っ立っている男に問いかけるが、男は特に口を開く素振りすら見せない。
男に被せた薄い生地の外套が静かに舞って、沈黙の中に宙を飛んだ反動の名残が見て取れた。
両腕と首をがっちり鎖で繋がれたまま、脚力だけで高い城の塀を飛び越えてしまったなんて、ちょっと信じられない。
広すぎる庭を歩きながらサンジは余りにも寡黙なこの男に、早々困り果てる。
元来お喋り好きのサンジには些かコミュニケーションを取り辛いタイプの人種のようだ。
「…無視かよ。なんかちょっとくらい喋ってくれてもいいんじゃねェの?ああ、それとも自分を買った野郎となんて、口も利きたくないってか?」
不貞腐れたように言って、はたと思い当たった。
そりゃあそうだ。望んで奴隷になったわけでもないだろうし、これから酷い扱いを受けるかもしれない自分を買った奴のことなんて、きっと憎いに決まっているのだ。
そこまで思い当たって、妙に悲しい気分になった。
自分はこの男に、最低な野郎だと思われているなんて。
コートを身体の横でぎゅっと握りしめて、サンジは胸の小さな痛みをやり過ごす。
こんな出会いをしてしまったのだから、それは必然的なものだと分かっているが、やはり辛い。
「―――ゾロ」
ぽつりと、低く頭を痺れさせるような声がサンジを捉えた。
驚いて後ろを振り返ると、初めて目があった時と同じ強い眼差しで、男がこちらを見ている。
「ぞ、ろ?」
「俺の、名前だ」
たどたどしく男の言葉を反芻したサンジを肯定するかのように、男――ゾロがもう一度口を開いた。
それがまるで憎んでなどいないと否定されたみたいで、サンジは歓喜を覚える自分に気づいた。
2009.03.09
written by Ayami