「何見てるんですか」

音もなく降り続ける白い雪の流れを、車窓越しに見つめる瞳。
いつもは笑顔の奥に隠されたこのひとの本音が、少しだけ滲み出ているようだった。

「うん?いや、真っ白で美味しそうだなと思ってね」
「どこが美味しそうなんですか」

お決まりの意味を成さない戯れにため息を吐いて、僕は同じように外を見た。
ただ落ちていくだけの色のない雪は、どこか切ない気持ちを誘う。
美味しそうだなんて、酷い冗談だ。

人のいない夕暮れ時に、贅沢に腰かけた座席は僕らの二人きりだった。
それでもこの人と僕の間にはほんの少しの距離が、鉛のように重く横たわっている。

「所詮雨です。雪が美味しそうなんて、思いませんよ」
「そうかな」
「そうです!もう子供じゃないんだし…。変な冗談はやめてください」

ずっと変わらずに続いてきた日常のように、刺のある言葉で言い返す。
意地っ張りなこの性格は、置かれた距離を自分から越えるどころか、同じように突き放すしかできない。
もっと近づきたいのに、このひとのことを誰よりも一番に知りたいのに、なぜだかできない。

「だけど、この色を綺麗だとは思うだろう?」
「ええ、まあ…」
「雪に包まれた白い世界はとても静かで、雪の音しか聞こえなくなるような気がするんだよ」

鮮烈な赤い瞳が、さらに遠くを見つめる。
光を受けて淡く光る白銀の髪は、穢れのない雪を思わせる白さだ。

今までの僕なら素直に雪を美しいものだと思えたかもしれないけれど、今は無理だった。
その白さが何もかもを覆い隠して、そしていつかは溶けていなくなってしまう。
掴みどころのないこのひとの存在が、僕にそう思わせる。

じっと、まるで存在を確かめるように隣に座るこのひとを見た。
どれだけ見つめたって、壁を見上げるばかりで乗り越えられはしないのに。

「僕は雪が好きだ」

しばらく揺れる車体に身体を任せていると、こちらを見ないままの声が静かに僕の耳に響く。
二月の終わりにしては凍りつくような寒さのなかに、しんしんと雪が降る。
染みいるような寒さが、度々開く扉から忍び込んで指先を凍らせる。

誰もいない場所に、雪が降り積もって全てを包み込んで。
何も聞こえない世界にいる錯覚に、このひとは何を思うのだろう。

「……僕は、雪が嫌いです。綺麗だとは思うけど、嫌いです」

雪はこのひとを連れて行ってしまう。
どんなに綺麗なものでも、このひとが隣にいなければ何の価値も見出せない。

僕の言葉にようやくこちらを向いた顔を、ありったけの力を眉間に込めて睨み上げた。
面喰ったように大きな瞳を見開いて、そのひとはほんの少し寂しそうに眉尻を下げた。
そんな顔をするくらいなら、もっとこっちを見て欲しい。
ここにはたくさんの人がいて、たくさんの色で溢れかえっているのだと知って欲しい。

「…そうか、残念だな」

諦めを含んだ声が、吐息と共に吐き出されて白くなって消える。
反射的にその手を掴んでしまったのは、これ以上の距離に耐えられなくなった僕の我儘だった。

「なんで、あなたは…っ」

ひやりとしたこのひとの冷たい手が、小さくたじろいだ。
それでも逃さずに必死でつなぎ止める術を探すけれど、明確な答えが見つからない。
情けなくも涙が降りてきそうになって、僕は両手で握りしめた手に力を込める。

「もっと……、」

白くて細い手に縋りながら、悔しさに奥歯を噛む。
このひとがこちらを見てくれないのは、単に僕にそれだけの力がないからなのかもしれない。
このひとを引き寄せられる何かを持っていないから、だめなのかもしれない。

それでもこの冷たい雪のような手を、少しずつでも温められたなら。
いつか凍える冬が終わって、雪は溶けて消えて、僕を受け入れてくれるかもしれない。
一緒に消えてしまわないように、ずっとずっと、この手を繋ぎ止めていられるなら。

(もっと踏み込んでほしい。もっと、近づいてほしい)

恐る恐る、僕は冷え切った手に額を寄せた。
この手を通じて僕の気持ちがこのひとに伝われば、どんなにいいだろう。
開かなければ伝わらない、言葉にしなければ伝えられない、このもどかしさをなくしたい。


「ジョミー」

筋張った手のひらが、ふいに震える背中に触れた。
そのまま優しく引き寄せられて、見覚えのある制服の胸元が眼前に現れた。
何が起きているのかさっぱり分からなくて、僕は手の中の冷たさを離さないことで精いっぱいだった。

「雪は綺麗だけれど、少しだけ…寂しいね」

宥めるように、慰めるように、大きな手が僕の背中を撫ぜて、最後に頭へと向かう。
壊れものを扱うようにたどたどしく、けれど丁寧に触れられる感触があまりに心地よくて、喉が鳴った。
知らず腕全体でこのひとの手を抱き込んで、強張る身体をなんとか落ち着かせる。

優しい命を刻む音がすぐそばで聞こえて、次第に僕は状況を把握した。
けれどそれと並行して、初めて詰まった距離が徐々に僕の頬を熱で侵し始める。

「ブ、ル…」
「すまない、ジョミー」

いつになく低くて重い声が、揺れる車体の音に混じって届く。
僅かに強まった抱き込む腕の力に驚きながら、僕はひたすらに次の言葉を待った。
自分で確かめるには焦れすぎていて、もしも違っていたらと思うと怖くて聞けなかった。
このひとの声で、このひとの言葉で聞かなければ、安堵できなかった。

「がんばるから…、もう少しだけ、待っていてくれ」

さらり、と梳かれた髪の音を聞きながら、僕は嬉しさにとうとう嗚咽を堪えるのをやめた。
小さく頷いて胸元に擦り寄ると、答えるように握りしめた手が僕の手を握り返す。



僕の隣に座るひとは、とにかく遠いひとだった。
いつも穏やかに笑っていて、その笑顔でひらりと色んなものをかわしていく。
綺麗な顔で全てを覆って、心にもない言葉で軽い冗談を言う。
心の奥には本当の自分を隠していて、そこはずっと雪で閉ざされている。
近づこうと思ってもそこに入り込むことができなくて、見つめるばかり。

けれどほんのすこし。
ほんのすこし、音を立てて雪は溶けた。




雪 を 溶 か す


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2008.05.09(2008.05.09)
written by Naao Ayami