「やあ、静雄」

インターホンを押して間もなく、新羅がドアを開いて顔を覗かせた。
視線だけで相槌を打ち、玄関に上がり込む。
その場にしゃがんで臨也の靴を脱がせると、新羅が診察室の扉を開けて待っていた。

「あーあー、今回もまた派手にやったね、臨也。後で廊下の掃除しなきゃ」

玄関から点々と後を残す血の痕が、静雄の歩いた場所を辿ってついている。
心底面倒くさそうに両肩を竦めた新羅は、静雄が診察室に入ったのを確認すると、後ろ手で扉を閉めた。
白く張りつめたシーツの上に、ぐったりと力の抜けた臨也の体を横たえる。
静雄にしてやれることはここまでだ。後は新羅がどうにかするだろう。
血で汚れた上着を早く洗わなければ取り返しのつかないことになるし、手も洗いたい。

次に自分がすることを考えながら、静雄は寝台に背を向けた。
けれどそれを引きとめる指先が、音もなく静雄のシャツを引いた。

「シズちゃん」

反射的に振り返ると、痛みに震える体を辛うじて持ち上げた臨也が、涙を溢れさせた瞳で静雄を縫いとめる。

「シズちゃんどこいくの?なんでいなくなっちゃうの?」

いやだいやだと壊れた玩具の様に繰り返す臨也に、静雄は動けなくなった。
こんなのは初めてだ。今まで通りなら、静雄の役目はここで終わっていたはずだ。
渋面を浮かべ、助けを求めて新羅を見やると、新羅はすっかり治療の準備を整えた医者の表情で苦笑した。

「居てやりなよ、静雄」
「なんで俺が…」

臨也が静雄をここに引きとめたがる理由が分からない。
一人が心細いなんて脆弱なことを言う男ではないし、そもそもここまで連れて来てやる義理だって静雄にはないというのに。
むすりと眉を寄せた静雄に、新羅は全てお見通しとでもいう様に口を開いた。

「君も大概鈍感だよね。ここまで臨也を運んでおきながら、今更その言葉が出てくることが僕は驚きだよ」

わざとらしく溜息を吐いた新羅は、診察台の横に回りながら臨也に視線を落とし、再び静雄を見た。

「不言実行だよ、静雄。結局、僕にああだこうだ言われて理由を探すよりも、君自身の感覚に素直に従って、信じるままに行動するのが一番だよ。で、そろそろ始めたいんだけど。どうする?」

確かに新羅の言う通り、理屈で考えるよりも感覚に従う方が自分のスタンスに合っている。
初めて臨也から電話を受けた時も、思えば考えるより先に体が動いた。
何かに怯える臨也の頼りない瞳が静雄を縫いとめ、知らず手を差し伸べてしまっていたのだ。

いつの間にか大人しくなっていた臨也に視線を落とすと、気を失ったらしく紅い瞳は固く閉じられていた。
それでも離されなかった臨也の白い指先に、心がゆっくりと、確かに動いた。
冷たくなった指先に自分の手を重ね合わせ、そしてその手をそっと解きほぐす。
すると臨也の指がほんのりと熱を帯びたような気がして、静雄は慌てて手を離して今度こそ診察室の出口を目指す。

「終わったら呼んでくれ」

無言で背中を見送る新羅に尊大な態度でそう言うと、返事を待たずに部屋を後にした。

(俺は何考えてんだ…)

怪我をする度に静雄を呼ぶ臨也。
そして呼ばれる度に、馬鹿正直に迎えに出向いてはここへ連れてくる自分。
一体いつから殺し合うだけの関係性が、歪んでしまったのだろう。
何故臨也は静雄に助けを求め、自分は律儀にそんな臨也を助けてしまうのだろう。

どうして、何故。
そんな言葉が頭の中を掻き乱す。
自分のことでさえままならないのに、臨也が考えていることなど静雄に分かるはずがない。
考えることを止めて直感で動く方が自分らしいとは言え、請われるままに臨也のそばにいてやる気になった自分に腹が立つ。
散々これまで酷い仕打ちに遭わされ、本来争いを好まない自分が殺したいと望むほど嫌いな人間に、放っておけない、目が離せないと思わされるなんて。

「ちくしょう……っ」

ぐちゃぐちゃと渦巻く感情に区切りを打つように一言毒づいて、静雄はきつく拳を握りしめた。


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お題提供:キンモクセイが泣いた夜

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