3:永遠の先を見た

熱で溶けた紅い瞳が、まんまるになって静雄を見上げていた。
その瞳が普段と違って何の含みもないもので、気まずくなって引き寄せた臨也の体を廊下の床に座らせた。

「静雄!ナイスタイミングだね」
「何してんだよ、こいつ」

両手を挙げて大げさに喜んだ新羅に、静雄は低く唸った。
影に凭れて息を浅く吐く臨也は、どう見てもまともに立って歩ける状態ではない。

「突然帰るって言いだして、勝手にここまで来ちゃったんだよ。私も止めようとしたんだけど、そこに君が丁度現れたってわけさ」

不自然に笑みを作った新羅に、静雄は小さく舌打ちした。
こういうときばかり自分の感が鋭く働くことを、静雄はよく理解している。
案の定、静雄と臨也のコートを手に戻ってきた新羅は、はい、と他人事のように二着のコートを静雄に手渡した。

「タクシー呼んでおくから」

そう言ってリビングに消えた新羅を茫然と見送って、静雄は深く息を吐いた。
臨也の子守役に任命された覚えはないが、このままにしておくのも目覚めが悪い。
意識が朦朧としている臨也にいつもの黒いコートを着せ、その上から更に自分のコートを掛けた。
コートがずれないように注意しながら、力の抜け切った体を背負う。
首筋に触れる熱い吐息に、静雄の苛立ちはまるで風船のように萎んでしまった。

「タクシーすぐ来るってさ」

リビングから戻ってきた新羅は、片手に持ってきた薬を静雄のポケットに突っ込んだ。

「俺はそこまで面倒見る気は…!」
「置手紙でもなんでも、手段はあるだろう?」

静雄の言い分を全く聞く気のない新羅は、手際よく臨也に靴を履かせ、最後の仕上げとばかりにフードをすっぽりと被せた。

「じゃあ、よろしくね。静雄くん」

笑顔で手を振った闇医者に何かを言い返す気力も無く、静雄は渋々新羅のマンションを後にした。
どうやら今日の午後は仕事に戻れそうにない。
ほんの少し、臨也と交わした約束が気がかりで、顔を見たらすぐさま帰ろうと思っていた。
流れで交わした口約束だ。律儀に守ってやる必要などどこにもありやしない。

しかし、怪我をする度に自分を呼んで縋り付く臨也の姿を見てきたせいか、簡単に見捨てることができなくなってしまった。
ノミ蟲なんぞに情が湧くとは、と思わないこともないが、湧いてしまったものをなかったことにできるほど、静雄は器用ではなかった。
それにたとえ相手が臨也であろうとも、約束を破るのは静雄の意に反する。
背中に臨也感じる臨也の温もりに言いえぬ感情を抱きながら、静雄は頭の中につらつらと言い訳を並べていた。

マンションのエレベータに到着し、一階のボタンを押す。
少しずり落ちた臨也を背負い直して、エレベータの位置を表すライトが点滅するさまを目線で追う。

「……ん…、さむ…」

覇気のない、熱をはらんだ臨也の声が、もそりと肩越しに聞こえた。
意識がしっかりと浮上しきっていないからか、温もりを求めて臨也の腕が静雄の体にしがみつき、首筋に頬を寄せる。
項をくすぐる柔らかい髪の感触にふるりと震え、静雄は湧き上がる感情を振り切るように開いたエレベータに飛び込んだ。

「すぐタクシーだから我慢しろ」
「……シズちゃん?」

僅かに首を擡げ、臨也の吐息交じりの声が静雄を呼んだ。
途端に自分の状況を把握した臨也が、静雄の背中を遠ざけようと腕を背中に立てた。


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