金属が破壊される音を聞きながら、数少ない家具の中に収納されていたタオルを見つけ出す。
どうやら臨也は意識を失っているようだが、応急処置には都合がいい。
意識がある状態では、きっと臨也は誰の手も借りないと言い張って新羅達を追い返すだろう。
臨也がもし、正常な精神を未だ保っているのであればだが。

タオルと臨也のコートを持って臨也の元へ戻ると、頭の上で繋がれていた両腕を、静雄が身体の横へそっと置いているところだった。
次いで静雄の手が目隠しの布へ向かったところで、新羅は静止の声を上げた。

「待って、静雄。どのくらいその状態で目を覆われていたか分からない。急に光源を目にすると視力に悪影響を及ぼすから取らないで」
「あ、ああ…分かった」

戸惑いながらも布から手を離した静雄は、気まずそうに臨也から視線を逸らした。
とにかく早く身体を拭いて、せめてコートくらいは掛けてやらなければと近寄った時、臨也の口が小さく動いた。

「……っは、かはっ…、げほ、……うっ」

息苦しそうに咽出した臨也に、静雄が目を剥いた。

「新羅!」
「多分、喉の奥に絡んで息がし辛いんだ。吐かせて!」

恐らく弱り切っていて、自分の力では吐き出せない。
慌てる静雄に的確に指示を出し、口の中に指を突っ込ませて無理矢理吐かせる。
静雄の腕に頭を支えられた状態で弱々しく嗚咽を繰り返し、臨也は胃の奥からせり上がっていた白く濁った液体を吐き出した。

「はっ…、はぁ……はぁ…」

小刻みに上下する薄い胸に、新羅はタオルを滑らせ始めた。
静雄はその様子をしばらく眺め、やがて臨也の頭を床に横たえて出口を目指した。
セルティを待たせたままだが、静雄が傍に戻るのであれば状況説明くらいはしてくれるだろう。

淫虐の痕が残る身体を丁寧に拭いながら、膿んでいる傷口を簡単に処置していく。
いったい臨也はいつからここでこうして暴力を受けていたのだろうと思うと、言葉が出ない静雄の気持ちが少し理解できた。
きっと一番この状況に混乱し、怒り、やるせなさを抱いているのは静雄だ。
普段は臨也と死闘を繰り広げ、天敵として臨也を憎む素振りを見せているが、それだけで簡単に言い表せるほど静雄の中の臨也という存在は単純なものではない。
いつの間にか、新羅はその隠された事実に気付いてしまったのだ。

複雑な関係の彼らを思いながら淡々と処置をしていると、ガーゼを押し付けた臨也の身体がびくりと動いた。

「……臨也?」

目隠しを解いていないせいで、臨也が意識を取り戻したのか判断しにくい。
呼びかけてみるが、明確な反応がないまま、臨也の唇が数回震えるように動いた。

「だ、れ…?」

静まり返った室内に、ようやく聞きとれる程度の声が響く。
確かに今、臨也は喋った。
見えない臨也に唯一確かなものを訴える手段として、新羅は臨也の腕に触れた。

「臨也、僕だよ、新――」

驚かせないようにと、できるだけ顔を耳元へと近付けて静かに呼びかける。
しかし、伸ばした新羅の腕は臨也の腕によって弾かれた。
そのまま闇雲に暴れる臨也の腕が、新羅の眼鏡を床に叩きつけた。

「……っ、やめ、て…!さわ、……な…、っ……」

か細い声で紡がれる言葉に、新羅はしばらく動けなかった。
臨也に新羅の声は全く届いていない。
見えていないことも原因だが、何よりパニック状態に陥っている。

荒い息を繰り返し、腕を持ち上げることさえ辛いはずの身体を必死で引きずり、新羅と距離を取ろうとしている。
容易に手を出せば、余計に混乱を与えてしまう。

「おい、新羅。大丈夫か」
「臨也が意識を取り戻したんだけど、混乱しているみたいで手がつけられなくて…」

物音に異変を察知して戻って来た静雄は、足を蹴って見えない何かを追い返そうとする臨也の動きを注意深く見詰めている。
どうしたものかと思考を巡らせていた新羅に、静雄が声を掛けた。

「大人しくさせりゃあいいのか?」
「え?まあ、そりゃあそうだけど…」
「俺がやる」
「ちょ、ちょっと!どうするつもりだい!?」

まさか強引な方法で大人しくするなんてことはさすがにないだろうとも思いつつ、しかし医学的な方法を一切知らない静雄が一体どんな手を使うのかと思うと冷や汗が流れた。
新羅の声を無視して怯える臨也に近づいた静雄は、自分を守るように身体に両腕を巻き付けて震える臨也を、そのまま引き寄せて抱き込んだ。

「や…っ!あっ、……あ、っやめ……!」

目元を覆う黒い布に涙を滲ませて抵抗する臨也を、頭から包み込むように腕の中に収めた静雄は、臨也の背中に手のひらを当てて言い聞かせるように言った。

「落ち着け。もう誰もお前に手ぇ出すような奴はいねぇ。もう大丈夫だ」

大丈夫、大丈夫だ。
落ち着いた低い声でそう幾度か繰り返し、静雄の首筋に顔を埋める臨也の背を撫ぜた。
弱り切った臨也の抵抗など、静雄にとっては赤子を抱くのと同じようなものだ。
力強く、けれど壊してしまわないように力をなんとかコントロールして臨也を捕まえた静雄は、辛抱強く臨也を宥めた。

すると次第に臨也は身体の力を抜いて、静雄の身体に体重を預けたまま荒くなった呼吸を肩でなんとか繰り返し、ようやく落ち着いた。

「……臨也」

だらりと弛緩した身体を支え直し、静雄が確かめるように名前を呼んだ。
暴れたために最後の力を使い果たした臨也は、静雄の声にぴくりと腕を震わせた。
そしてゆっくりと顎を持ち上げて、するりと鼻を静雄の首筋へ擦りつけた。

固唾を飲んで臨也の動作を見守っていた新羅と静雄は、臨也の口が確かに言葉を紡いだ瞬間を見た。

「シ、ズ…ちゃ……、ん…?」

それは本当に聞こえるか、聞こえないか、定かではないほどの音だった。
けれど臨也の唇は、もう何度も聞いた言葉を、しっかりと紡いだ。
驚いて静雄を見ると、本人も目を見開いて息を飲んだ。

「――そう、呼ぶなって…、何度も言っただろ。俺は、平和島静雄だ」

迷いながらも口を開いた静雄が何を言うのかと思えば、これも何度も聞いたフレーズだ。
こんな状況でこのフレーズを口にするなんて、全くもって静雄らしい。
思わず苦笑を零した新羅は、臨也が微かに口角を上げたのを見て、余計に笑みが零れた。

「シズ、ちゃん……、シズちゃん……っ」

掠れた声が何度か静雄の名前を呼んで、再び布をじわりと涙で湿らせた。
力なく静雄のシャツを握った臨也を、静雄もぐっと唇を噛みしめたままもう一度抱き寄せた。

静雄がいてくれて、よかった。
戻って来た折原臨也の白い肩に、新羅はそっと黒いコートを掛けた。


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