刹那ロマンス

人がごった返す池袋の街中で、あまり鳴らない携帯がポケットの中で震動した。
丁度仕事が終わったところだったので、上司のトムに気を使うこともなく携帯を取り出す。
画面には、メール一件受信の文字。
俺にメールを送ってくる相手なんて限られているから、頭の中でいくつか見知った顔を思い浮かべながら、メールを開いた。

『どっか食べに行きたい』

メールの内容はそれだけだ。タイトルだってない。
送り主の名前を見るまでもない、それは折原臨也からのメールだった。
いつものことながら、こちらの都合を慮ることのない文字の羅列に眉を歪める。
けれどどうせこの後どこかへ行く予定などないのだから、全うな理由で文句をつけることはできない。
仕方ないと息を吐いて、俺はトムさんに頭を下げて駅前で別れた。

そこでふと、どこで待ち合わせるのか何も決めていないことに気付き、再び携帯を取り出した。
メールはまどろっこしくて面倒なので、大抵連絡する時はメールではなく電話を使う。
リダイレクトの画面から見慣れた文字を選び、コール音を数回聞く。

「おい、どこで待ち合わせんだよ」

電話が繋がった瞬間に矢継ぎ早に告げると、臨也は受話器越しに楽しそうに「後ろ後ろ」と言った。

「やあ」
「……お前はストーカーか」
「ひっどいなぁ、迎えに来てあげただけじゃない。ていうか、ストーカーっていうのは自分が一方的に関心を抱いた相手にしつこくつきまとうことを言うんだよ?俺がシズちゃんの仕事が終わる時間を知っていて、どこにいるか把握しているのは、俺の情報網の成せる技なんだから、そこのところ混ぜてもらっちゃ困るね」

一言返すと十返る。
両手を広げたオーバーリアクションで口を動かす臨也にうんざりして、俺はよく動き過ぎる口を片手で塞いだ。
これ以上人通りの多い場所に二人でいるのも限界に近い。

「どっか食いに行きたいんじゃねぇのかよ」
「…まあそうだね、人目もあるしさっさと移動してしまった方がよさそうだ」

お決まりの黒いロングコートのポケットに両手を入れて、臨也は歩き出す。
池袋では、俺と臨也が揃って歩いている姿は目立ち過ぎる。
二人で連れたって外出する時は、必ず池袋以外の場所へ向かうのが常だった。

山手線に15分ほど揺られ、俺と臨也は電車を降りた。
どこへ出掛けるにも、臨也の先導で俺は歩く。
一歩池袋を離れると、どの駅の傍のどの店が美味しいだとか、あそこはこの時間空いているとか、そんな情報を俺はほとんど持っていない。
それこそ情報屋と謳うだけあって、そういった類の情報に臨也は殊更詳しかった。
しばらく歩いて着いたのは、昼間はカフェ、夜は洒落た洋食屋といった雰囲気の店だ。
どことなく女が好む装飾を感じさせられ、戸惑いなくドアを押した臨也の後ろできょろりと視線を巡らせた。

「いらっしゃいませ、二名様ですか?」

上品に微笑んだ店員の案内で、窓際の席に座る。
問答無用で禁煙席に座らされるけれど、臨也が食事中に煙草の臭いを嫌うと知っているから、もう何も言わない。
けれど店内は女の子が多い上に、男同士の客なんてどこにも見当たらず、店の選択にだけは少々文句を言いたい気分になった。

椅子に腰かけた途端、備え付けのメニューを開いた臨也は、電車を降りたあたりから口を開かない。
流暢に舌を滑らせていた時は煩いと思うのに、こうして急にだんまりを決め込まれると落ち着かない。
特に怒らせるようなことはしていないはずだが、様子を伺おうにもメニューに隠れて臨也の表情はちっとも見えなかった。

「すみません、これ一つ。あとはコーヒーをホットで」

俺が慎重に臨也の仕草を見守っていると、傍を通りかかった店員を引き止めて、さらりと注文を終えてしまった。
一つのテーブルに一つしかないメニューを独り占めにしていたくせに、頼んだものは食べ物と飲み物で一つずつ。
一体どういうつもりなのかと、メニューを定位置に戻した臨也に俺は口を開いた。

「おい、俺の分は」
「そんなのないけど」
「はあ!?」
「俺は一言も“一緒に食べよう”とは言ってないよ」

しれっと言いきった臨也は、こちらをちらりとも見ずに窓の外を向いている。
こいつにとって言葉遊びはお手の物かもしれないが、俺にとっては煩わしいことこの上ない。
食べに行きたい、と言われれば一緒に晩御飯を食べるものだと思う。
それが普通の感覚ではないのだろうか。
一体俺にどうしろと言うのだろう。切れるどころか呆れが勝り、溜息が洩れた。
そうこうしている内に無駄に明るい声で店員が現れ、注文したものが早くもテーブルの上に届けられた。

「………お前、それが晩飯か?」

目の前に現れたのは、それは立派なパフェだった。
アイスにバナナにティラミスやら、その他良く分からないものが大量に突っ込まれている。
デコレーションのチョコレートの細い線は綺麗な模様を作っていて、崩すのが勿体ないくらいだ。
けれどあまりにも、このパフェは今の俺達には不釣り合いだった。

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