四角く切り取られた窓から、赤と橙を溶かして混ぜ込んだような太陽の残滓が差し込んでいた。
中途半端に閉じたカーテンの隙間から落ちるその光が、長い影を足元に落としている。
ぼんやりと黒い影を見つめたまま、体はほんの少しも動かない。
まるで全てを奪い取られてしまったかのように、指先から足の先まで力が入らない。

ようやく整ってきたばかりの息をゆっくりと吐くと、自然と口角が上がった。
なんで、どうして、こんな硬い机の上に横たわったまま、意味も無く息を繰り返しているのだろう。
体中を支配する疲労感と鈍い痛みが、己の行為を責め立てる。
辛うじて動いた頭の下で、ぐしゃぐしゃになった学ランが新たな皺を生んだ。

枯れ切って張り付く喉の奥が音を紡ぐことはなく、臨也はただ言葉もなくとなりに座る男を見た。
臨也とは対照的に、全くの疲れを見せずに早々に着替えをすませ、立ち上がる。

「……」

臨也の上に伸びた腕が、皺の寄ったブレザーの上着を臨也の体に乱雑に放る。
僅かな光源の下で頬に掛かった影の主を見上げると、何とも言えぬ苦い表情で唇を噛んでいた。

やがて横たわったままの臨也を残して、使われなくなって久しい教室の中は空っぽになった。
軋む音を立てて閉じた扉を最後に、夕暮れの中の教室は音一つない。
ますます自分がなぜここに横になっているのか、分からなくなってくる。
まるで夕焼けの中にどろどろと溶けて落ちていくような感覚に捕らわれて、臨也は小さく笑った。

ただ、確かめたかっただけだった。
頭の中を掻き乱し、浸食を続ける感情の意味を、無視し続けるにはあまりに近すぎたから。
自分自身を追いつめると分かっていながら、明確な答えのないままではいられなかったから。

(これで、もう、あとには戻れない)

ゆるゆると、嗅ぎ慣れない匂いを纏ったブレザーに、臨也は顔を埋めた。
どこまでも甘い男の行為を憎いとさえ思うのに、喉の底が詰まるように苦しくて、唇が震えた。

もうすぐ冬が深まり、やがて春が来て、臨也はここを去る。
それまではせめてもう少しだけ、今のまま、壊れたことには気づかないふりをして、自分を騙していたい。
それ以外には何も希望なんて見えないこの感情の行方の、後始末をつけるために。



***



「てめぇ、ノミ蟲の居場所知ってんだろ」

たった今二人の愛の巣であるこの部屋に乱入してきた男の剣幕に、新羅はすっかりたじろいでいた。
肩や髪の上に被ったままの雪を払うこともせず、静雄は扉を開けた勢いのままに新羅を掴み上げた。
驚いて新羅を追って来たセルティが、いつになく慌てた様子で静雄を宥めている。
身振り手振りで必死に静雄を説得するセルティを、場違いにも可愛いなあと思って頬が緩んだせいで、静雄の暴走をぶり返したことに関しては全くもって罪悪感はない。

「で?こんな夜遅くに、僕らが愛を睦みあう時間を壊してまで何の用事だい?臨也がどうしたって?」

咎めるセルティの空気をさらりと流し、ようやくソファに落ち着いた静雄に向かい合った。
切れ長の目が恐ろしく鋭い光を湛えたまま、新羅をまんじりともせず睨んでいるけれど、言葉はない。
きつく握りしめられた指の間に無残にも皺だらけになった紙切れが一枚目について、視線を落とす。
すると視線に気づいたのか、静雄は気まずげに紙をポケットに押し込んでしまった。

「どうして今更臨也のことなんて蒸し返すんだい。いなくなってくれたおかげで池袋には平和が訪れて、君も無意味な喧嘩に巻き込まれることがなくなって、毎日平穏に暮らしましたとさめでたしめでたし、って流れじゃあなかったかい?」

となりで小さく頷くセルティに同意を求めるように両肩を竦めて、新羅は静雄の言葉を待った。
こういう時は、彼を急かしても何もいいことはない。自分自身を的確に表現することが苦手な静雄は、頭の中の少ない辞書から必死に言葉を探しているに違いないのだ。
彼がそんな風に大人になってしまったのは、一重に周囲の人間たちの影響が大きいと思うと少しばかり同情する。

「…ノミ蟲の野郎、俺に変な手紙を寄こしやがったんだよ。どういうつもりか、吐かせねぇと気がすまねぇ」
「臨也が、静雄君に手紙を?」

静雄の口からようやっと現れた言葉は、新羅とセルティを驚かせるには十分過ぎた。
先ほど静雄がそそくさと隠した紙は、臨也から届いた手紙だったというのか。

「複雑怪奇!臨也が君に手紙だなんて、世の中にはまだまだ不可解なことがあるもんだ。ところで届いたのはその一通だけなのかい?」

慌てて隠したはずの紙切れをすっかり見破られていたと知ってか、静雄はどこか不服そうに顎を突き出して、ぼそりと口を開く。

「いや、何通か…、数えたことはねぇけど、半年くらい前から時々来てたからな」
「半年前って、ちょうど臨也が池袋に姿を現さなくなった頃じゃないか!」

そうだっただろうか、と曖昧な表情を浮かべた静雄を余所に、新羅の頭の中には様々な仮定が浮かび上がる。知らない内に何やら面白いことになっていたものだ。
半年前に突如姿を消した臨也の行方を知る者はいない。
新羅だって一応はお友達という分類にいる臨也のことを、探してはみたのだ。
共通の知り合いに声を掛け、携帯にだって電話やメールをしてみたし、新宿のマンションまで仕事のついでに赴いたこともある。

けれど、臨也はどこにもいなかった。
まるで暗闇に溶けて消えてしまったかのように、あまりにもあっさりと、ひっそりと、臨也はいなくなった。
それがどうだろう、臨也の痕跡はあまりにも近くにあったのだ。
最もそれを所有していそうにない人物が、密かに手のひらの中に隠し持っていた。

「それにしても、よく半年も我慢できたね。今までならすぐに臨也を追いかけていそうなものなのに。とうとう力だけでなく、感情までコントロールできるようになったのかな?」

意地悪く微笑んだ新羅に、静雄の表情が険しくなる。
挑発に乗りやすいところは確かに変わっていないはずだから、いよいよその手紙の内容というのが気になる。
険悪な雰囲気に弱り切ったセルティが、新羅を急かすように膝を打つ。
セルティにだけは甘い新羅だ、早々に空気を変えるために明るく言葉を繋ぐ。

「まあ、結論から言うと、僕は臨也の居場所を知らない。音沙汰がなくなってからすぐに一通り調べたけれど、見つからなかった」

その時は、どうせまた何かよからぬことを企んでいるのだろうと、呆れて探すことをやめてしまった。
けれど半年経った今も、池袋は相変わらず平和だ。
臨也がこれほど長く姿を見せなかったことは一度もない。
何かの計画のために影に潜り、危ない橋を渡る途中で死んだのかもしれない、と新羅は大よその当たりをつけていたけれど、手紙が届いていたのならそういう訳でもないようだ。

そもそも、本当にその手紙が、臨也の手から投函されたものであるならばの話だが。

「お前なら、あいつの行きそうな場所を知ってんじゃねぇのか」
「うーん、そう言われても、私だってそこまで臨也と会っていた訳でもないし…」

静雄の眼差しに押されて、新羅は半年前のおぼろげな記憶を手繰り寄せた。
最後に臨也と会ったのは、確か静雄と池袋で暴れまわった後、怪我を治療するために新羅のマンションへ臨也がやって来た時だったはずだ。
肩にできた大きな傷と痣に、お小言を言いながら手当てしてやったことを思い出す。
いつまでこんな馬鹿げた追いかけっこを続けるつもりなのかと、珍しく説教染みたことを言ったのだ。
すると臨也は言葉もなく苦笑して、小さく首を傾げて言った。

「きっと俺は、シズちゃんに殺されたかったんじゃないかなぁ。まあ、そう簡単に殺されてやるつもりもないけどね。――それに、追いかけっこはもう終わる」

臨也が一体何を考え、そう言ったのかは分からない。
どうせ静雄を追いつめるための新しい作戦か何かを思い浮かべ、頭の中で駒を動かす手順のシミュレートでもしているのだろうと思った。
それが今までの折原臨也であり、これからも変わらずに、馬鹿みたいに二人の大暴れする様が池袋名物の座に鎮座し続けるものだと思って疑わなかった。

結局、池袋の街から情報屋の折原臨也は消えつつある。
人の関心など、常に移ろい流れるものだ。一度姿を見かけなくなれば、人々の記憶からは薄れていってしまう。
当の新羅だって、消えかかっている記憶は五万とあるだろう。
今もまさに、すっかり忘れてしまっていた記憶が見つかったばかりだ。

「おい、新羅。何か思い出したのか」

黙り込んで思案に深け込んでいた新羅に、静雄が痺れを切らせて身を乗り出した。
ふむ、と指先を顎に添えて、新羅は事もなげに言った。

「臨也は、死にに行ったんじゃないかなぁ」
「な…っ、」

目を丸々とさせ、言葉も出てこないまま、静雄が新羅を見ている。
けれど新羅の思考の先は、すっかり高校時代へと飛んでしまっていた。

そう、それは確か、卒業を控えた寒い季節の夕暮れ時。
最後に臨也と会った日のように、傷だらけで教室に戻ってきた彼の手当てをしていた時のことだった。


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もうちょっと続きます。

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