しばし物思いに耽っている間にようやく動揺から立ち直ったらしい静雄が、新羅に詰め寄った。

「適当なこと抜かしてんじゃねぇぞ、新羅。あいつが自分から死ぬようなタマかよ」
「じゃあ、こう言い換えれば君は納得するのかい?臨也は殺されに行ったのさ」
「――新羅ぁっ!」

背中をリビングの壁に強かに打ちつけられて、一瞬息が詰まる。
それでも新羅は冷静な目で静雄を見つめる。
すると今にも音を立てて切れてしまいそうだった静雄の理性が、辛うじて戻ってくる。
セルティが静雄の肩に手のひらを乗せたのと同時に、静雄は小さく謝りながら、掴みかかっていた手を離した。

「まあ、私にとってはどちらも同じ意味だけど、君にしてみれば大きな違いだろうね」

新羅が軽く咳き込みながらそう言うと、静雄は苦虫を噛み潰したような表情で、拳を握りしめた。
ぎちぎちと音がしそうなほど、その手には力が込められている。
臨也が絡む出来事で、こんな煮え切らない表情をする静雄は初めて見た。
殺す殺すと毎日追い掛けていた相手が、いざ自分のあずかり知らぬところで死ぬとなると面白くない。当然そんな思いもあるのだろうが、今静雄を支配しているのは、そんな単純な理由ではないのだ。

「……っくそ!」

引き留めるセルティの腕を振り切って、静雄が玄関を目指す。
苛立ちにそそり立った理性を逆なでするように、新羅はその背中に声を投げかける。

「臨也を探すつもりなら、それなりの覚悟をした方がいい」

ぴたりと止まった静雄の背に、新羅は尚も言葉を投げる。

「手紙の内容を俺は知らないけれど、大方別れの言葉でも書いてあったんだろう?このままなら君は殺したいほど憎い男から解放されて、平穏な日々を送ることができる。もう二度と関わり合うこともない。けれど追いかけるということは、これからも臨也と関わり合って生きていくことを意味するんだよ」

抑揚のない静かな声で話す新羅に、それまで背を向けたままだった静雄が、振り返ってゆっくりと視線を合わせた。
静雄も黙ったまま、表情一つ動かさない。

「臨也との関係を断ち切るなら、今しかない。それでも臨也を追いかけるって言うなら、中途半端な気持ちのままじゃあ行かせられない」
「…どういう意味だ」

一般人が目にすれば怯えて忽ち逃げ出してしまうほど、静雄の視線は獰猛な色をしていた。
今更恐れる必要などない新羅は、視線を逸らさず、むしろ挑むように見据える。

「追いかけるなら、追いかけたいと思う自分の気持ちに素直になって、向き合うべきだと言っているんだよ」

諭すような声色に、静雄が大きく目を見開いた。
どうやら自覚はあったようだが、まさか言い当てられるとは思ってもみなかったらしい。
唇を一文字に引き結んだまま、言葉が何も出てこない様子の静雄はひたすら立ち尽くしている。
少々苛めが過ぎたかと、新羅は恋なんてものには無頓着に生きてきた目の前の男に助け舟を出した。

「何も今すぐ答えを出せと言っているわけじゃない。でもいい加減な理由を張り付けて臨也に会ったって、臨也はこの街には戻ってこない。だからせめて向き合ってみろって言っているんだ」

言い終えない内からみるみる静雄の表情が歪み、ついには額に大きな手のひらを押し当てて、絞り出すように静雄が苦悩を漏らした。

「俺に、これ以上どうしろって言うんだよ…」

掠れた声が、答えを求めて頼りなく彷徨う。
新羅が思っていた以上に、静雄はもう何度も考えを巡らせては答えにたどり着けずに混乱を繰り返していたらしい。
静雄にとって自ら離れていった臨也を追い掛けようと決心することでさえ、大きな変化だったはずだ。
手紙を読んだことも、捨てずに今も手元に置いていることも、ここへ来たことも、小さな変化だが確実に静雄を狂わせていったに違いない。

「ああ、うん、僕が悪かった!分かったよ、臨也の居場所を知っていそうな人を紹介しよう」

眉尻を下げて、新羅は手近にあった紙とペンを取った。
唯一新羅が臨也について話を聞かなかった、共通の知人の居場所を文字で綴る。

「もし臨也の居所が分かったら、もう一度ここに来るといい。ね、セルティ」

未だ動けずにいた静雄に小さく折り畳んだ紙片を手渡して、新羅は背後で静かに見守っていたセルティに笑いかけた。

『ああ。その時は、私が静雄を送ろう』

新羅の意図を素早く酌んだセルティが、PADに打ち込んだ文字を静雄に見せる。
何とも言い難い表情で、静雄はその文字に頷いた。

「サンキューな。新羅、セルティ」

背中越しに片手を上げた静雄が、静かに玄関の扉を押し開けて出て行った。
ガチャリ、と音を立てて閉まった扉を、新羅は苦笑しながら見つめる。

「さすがの僕でも、そろそろ楽になってもいいんじゃないかなって思うんだよね…、あの二人」

独り言のように小さく呟いた新羅に、セルティがそっと寄り添って、頷いた。
思い出されるのは、やはりあの時のこと。高校生ももうあと半年の内に終わる、という時だった。
静雄をからかって遊ぶのはいいが、その内ヘマをして死ぬのがオチだと言った新羅に、臨也は乾いた笑い声を上げてそれを否定し、それから少し考え込んだ。

「でもさぁ、人間の死って不思議だよねぇ。肉体は確かに消えるんだけど、死んだ人間はむしろ、いつまでも誰かの記憶の中で生き続けるんだからさ」

臨也の言うことを肯定することはなかったけれど、確かにより近しい人間の死こそ、残された者の記憶に強く焼きつくものだ。
曖昧な相槌を返していると、それで十分なのか、臨也は機嫌よく達者な口を動かし続けた。

「だから俺は思うんだけど、誰にも思い出されないのなら、生きてても死んでるのと一緒なんじゃないかな。つまり、誰からも忘れられてしまえば、死ねるってことだ。これってなんて苦しくない死に方なんだろうね!」

興奮気味に語る臨也に、新羅は大きくため息を吐いた。
医者に語って聞かせるにしては、あまりにも精神論に偏りすぎていて馬鹿馬鹿しい話だとしか言いようがない。

「もし死ぬなら、俺はそうやって死にたいな」

清潔な包帯を巻き終えて、新羅はようやく視線を上げた。
ほんの一瞬目が合って、すぐさま視線は意図的にずらされた。
この時垣間見た臨也の表情が、鮮明に思い出される。
沈む間際の残照を受けて、臨也の紅い瞳がやけに光って見えたのに、やんわりと細められた目は遠いどこかを追い掛けていた。
その視線の先に、何があったのか。
新羅には知りえないことだけれど、大よその予想はついた。
臨也が執着しているものなど、一つしかない。それ以外考えられなかった。

「僕はセルティに思い出してもらえなくなるくらいなら、いっそ潔く命を絶ちたいと思うけど」
「だってそうやって死んだら、痛いし苦しいじゃないか。できれば痛いのは遠慮したいじゃない?」
「だったらいい加減馬鹿の一つ覚えみたいに、静雄君にちょっかいかけて怪我するのはやめたらどうだい?」

青痣の上をわざと叩くと、臨也は眉を寄せて息を詰めた。
どうせこのくらいじゃあ懲りないだろうし、新羅が何を言っても聞きやしない。
新羅の言葉なんて、臨也の耳をただ通り抜けるだけで、彼の意思まで曲げることはできないのだ。
臨也の中で燻っている感情が何なのか、その答えを知っていても新羅にはどうしようもなかった。
実るはずもない、報われない想いなら、いっそ白黒はっきりさせずにいつか薄れていく方がいいだろうと。

「珍しいね。俺の心配してくれるの?」
「まさか!こうやって君の手当てをするということは、セルティと一緒にいられる時間を削っているということを忘れないでくれよ」
「なるほど」

火を見るよりも明らかとはまさにこのことだ、と笑って教室を出て行った臨也の背中は、思いのほか小さくて、薄っぺらな頼りないものだった。
どう考えても、臨也の体型と筋力で静雄を相手にするのはリスクが高すぎる。
現に臨也は、これまでに何度も縫うほどの怪我を負っている。
いつ死んだっておかしくないほど、二人の喧嘩は激しい。
それでも静雄に絡むことをやめられない臨也は、自分の行動の意味に気づいていないのだろうか。

そこまで考えて、新羅は小さく苦笑を漏らした。
臨也ほど頭の回転が速い人間なら、気づかないはずがない。
気づいていながら、それを認められずに逃げているだけなのだ。

(まだしばらくは、私も迷惑を被るしかないようだ)

面倒な思考回路の友人を持ったのだから、仕方がない。
そう諦め半分にため息を吐いた時は、まさか臨也のとんでもなく不器用な恋が、数年越しにこんな結果を招くなんて想像もつかなかった。

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